2023/02/25 文章を書くための燃費が悪すぎ問題

・あ~~~~~~~~~~

 

・文章を読まないと文章が書けない!

 

・当たり前体操ではないのかもしれないが、小説を読まないと小説が書けない。絵を描くと絵の方に頭が行ってしまって、小説を書かないと~みたいになると急に頭がポンチになる。

 

・どう考えても風呂入りながらラノベを読んで脳をグルグル回す快楽にとりつかれている。文章書いてるのって結局のところ勢いだ。オチが降ってきた瞬間にもう道筋が一回見えて、作り込んでいる最中にもう一回尻尾が見える。尻尾が見えたら作業になるが、それまでは想像しなければならずこれがもう大変に面倒くさい。

 

・小説を書くにあたり、オチのない話が書けないので私は日がな一日書こうとした話のことを考えて頭をいっぱいにしないとオチが降りてこないので頭をいっぱいにしたいのだが、なかなかいっぱいにならないのはまあ当たり前だが娯楽が多いからだ。

 

・気を抜くとず~っとやってしまう事が沢山ある。脳の処理リソースを完全にチューチューされていて、私は今かなり脳みそがぽわぽわなのだ。しかもこの脳みそポワ~としたところをどうにかしようとするのが難しい。なんせぽわぽわしてた方が楽だし楽しい。文章を書くために文字を見ていると脳に言葉が反響してうるさいったらない。

 

・私は文書を書くあいだずっと頭に言葉が声で聞こえるタイプで、脳が回ると思考も言葉で脳に出てくるタイプなので、たぶん文章で出てこない人よりかなり反応が鈍い。たぶん家屋が崩壊したら死ぬ。パッパとあまり考えずに先に手を動かす、という行動が出来る人からするともはや沼地でずるずると動いているカバくらいなものだろう。あの動物はかなり強いらしいが、イメージ的にはカバが動いてらあ、といったものに違いない。

 

・正直なところ言葉を発するのより五倍はテキストを打った方が早いので、電話一本ですぐ要件を伝えてパッパとやろうとする人とはかなり相性が悪い。そも、口約束で何が決まるというのだみたいな気持ちもあるのだが、そういうので決める人はそういう事をするし、決まらなくても喋ることによりなんか解決したような気分になることは確かだ。喋りたくないし人と会いたくないと常々思っているが、他人と会話することにより解消出来る問題とサッパリとする感覚についてはなんとなく分かる。

 

・コレは多分運動をちょっとして身体を動かし始めると気分が高揚してきて汗をかいてきて気持ちよくなってくる、みたいなのと一緒のもので、やれば気持ちいいのだ。喋る事も運動することも楽しい。分かる。でもそれは一時的な享楽であって、毎日絶対にやらないきゃいけないとなると途端に無理だ。

 

・家族がヤバくなったので(持ち直した)様子を見にいかないといけないと思っているが、私の親類の片方は電話したいしコミュを親密にしたいしパッパと動いてそのスピードについてこれるか、という人間なのでもうこの人間とコミュする、というイベントというだけで私は家に帰りたくない。あと寒いしまだ…

 

・それほど寒くない地域にいて思うのは、しみじみ寒いのはイヤだ、ということだ。本当に嫌だ。たとえそこに素敵なものがあっても、寒いところに住むのだけはイヤだ。かといって暑いところに住みたいわけでもない。暑いところは虫が活発で困る。私は上京して五年くらいは虫と共存しないといけないのか?みたいな過酷な環境(寝ているとムカデの小さい奴が足を這っているためロフトで寝ないと暮らせないような)で過ごしていたため慣れた、と思いきや全然苦手である。苦手っていうかなんでそんな相手せなあかんねんという感じだ。前述のとおり私は素早く動くのが苦手なので、当たり前に虫を素早く倒すみたいなのも無理なのである。

 

・適度に寒く、しかし家は暖かい。暖房冷房はしっかり効いて、ちゃんとドアと窓を閉めれば虫が湧かない。そういう場所に私は住みたい。と思ってたんだけど電気代がどんどん上がるらしいので、そういった暮らしを夢見る事も結構大それたことになる日が刻々と迫っている……のか?ずっと家に居てずっと与えられた仕事をして、たまに外に出るような生活を繰り返しているとなかなか世間が今どうなっているか、というのが分からなくて困る。

 

・現代の歴史っぽい小説、生きてきたのにここ数年の話題は難しいかもしれない。知らないので……

 

・ブログを書いてたら徐々に文章を書く気になってきたのでほっとしている。明日は何か書きたいものだ。